Monthly Archives: August 2011

仮設住宅での生活

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宮城県では、避難所生活をされていた方々の、
仮設住宅入居が、ほぼ完了したらしい。

先日、お世話になった避難所に連絡をした所、
身を寄せている方は、わずか2名。
他の方は、仮設住宅か、修繕の済んだ自宅に戻っているという。

今後は、支援の道を離れて、自活を余儀なくされる被災者も多い。
ここで、重要となるのが「心のケア」である。
未曾有の天災に遭った緊張感から、ふと解放され、
孤独感に、苛まれる人々も多いに違いない。

孤独は、常に我々の生活と隣り合わせにある。
震災以後、突然、家族の多くを、事故で亡くした方も、
決して、少なくない筈で、
そうした方々の、心の拠り所となるのは、
地域コミュニティーなり、親類友人関係の支えであったりする。

しかし、地域全体が、こうした災害に遭われた方々は、
助け合いのコミュニティーさえ、瓦解していて、
サポートが上手く機能しない危険がある。
この時、彼らを救えるのは、人間の体温に他ならない。

9月11日(日)。
間もなく、震災半年を迎える。
今、行政の復興政策の手際の悪さに、ケチをつけても、
自殺を選ぶ人間を救えはしない。
必要なのは、そっと、寄り添い、
心の叫びに、耳を傾けることでは、ないだろうか。

一杯のかけ蕎麦が、人の命を救うこともある。



読売新聞(2011年5月17日 読売新聞)

仮設住宅 孤独死させない

 東日本大震災で被災した人たちの仮設住宅への入居が始まった。高齢化が進む被災地では、住み慣れた地域を離れることに不安を抱く高齢者は多い。仮設住宅での孤独死などを防ごうと、仙台市で入居者の生活を見守る取り組みが動き出している。(小山孝、中舘聡子)

豚丼を炊き出し

避難生活を送る被災者に豚丼をふるまう「パーソナルサポートセンター」のメンバー(8日、仙台市宮城野区で)
 100人以上が避難生活を送る仙台市宮城野区の市高砂市民センター。今月8日、玄関先で昼食の炊き出しが行われ、多くの被災者がこの日のメニューの豚丼を堪能した。
 炊き出しを行ったのは、3月に発足した「パーソナルサポートセンター」のメンバー14人。仙台市を中心に、生活困窮者や児童、障害者、高齢者支援に取り組む団体などで結成された。
 14日までに11か所の避難所で豚丼を提供したが、センターの本来の目的は、仮設住宅で暮らす人たちの見守り支援だ。今後、仮設住宅の入居者に対して、センターの支援員が戸別訪問などを行い、生活での困り事などの相談があれば、必要とされる保健、福祉、行政サービスや買い物支援を行うボランティア団体などを紹介するほか、就職相談なども行うことにしている。
 取り組みを通じて、心配される仮設住宅での孤独死を防ぐとともに、新たな地域の絆作りにもつなげる考えだ。参加団体のNPO法人「ワンファミリー仙台」理事長の立岡学さん(37)は、「炊き出しは活動前の顔つなぎ。仮設に移ってから、『豚丼の団体』と思い出してくれれば」と話す。

阪神大震災が契機

 仮設住宅での孤独死が社会問題となったのは、1995年の阪神大震災がきっかけだ。被災者が安心して生活できる場のはずの仮設住宅で、兵庫県では5年間に233人が孤独死した。60代が最も多く、入居から時間を置いた97年、98年にも死亡例が目立った。高齢者ら“弱者”を優先したため、既存のコミュニティーが解体され、自治機能が十分に働かなかったことが大きな原因とされた。
 東日本大震災は、阪神大震災をはるかに上回る被害を出しただけに、事態は深刻だ。先月末から仮設住宅への入居が始まった仙台市では、当面2500戸の仮設住宅を建設する予定だが、用地確保の問題などから、同じ地域の被災者が同じ仮設住宅地に移転できるとは限らないのが現状だ。自宅を津波で失い、高砂市民センターで避難生活を送る独り暮らしの女性(71)は、「頼りにしてきた近所の人と同じ場所に住みたいけれど、難しいかもしれない」と不安の表情を浮かべる。避難所を管理してきた市民センターの浅見健一館長は、「避難所に比べて仮設住宅は人の目が届きにくくなる。精神的に落ち込んでしまう人が出ることが心配だ」と話す。
 仮設住宅での孤独死防止策を検討していた同市は、「パーソナルサポートセンター」の取り組みに賛同、近く官民の協働事業として活動を始める方針だ。今後、被災者を含め60人程度を雇い、支援員として養成する。市民協働推進課の武山広美課長は、「市民同士が支え合う仕組みで、復興後の街づくりのモデルになる」と期待を込める。
 阪神大震災でも、神戸市西区の仮設住宅に支援に入った「阪神高齢者・障害者支援ネットワーク」は、ボランティアらが24時間態勢で常駐。最低週1回は全戸を戸別訪問したほか、運営した「ふれあい喫茶」は、その後、災害に関係なく、地域のつながりを深める手法としても広まった。
 同ネットワークの黒田裕子理事長は「部屋に閉じこもるなど、孤立する入居者が出てくるだろう。それぞれが抱える事情をきちんと把握した上で、様々なアプローチを考え、『絶対に見捨てない』という気持ちで根気強く見守っていくことが重要」と話している。

被災地の初盆。

English

八月。震災から五ヶ月が経ち、被災地は間もなく初盆を迎えようとしている。
一ヶ月前、避難所となっていた、東松島市の定林寺では、
土葬された方たちが、火葬され、絶え間なく葬儀が行われていた。
寺の近くではホタル草が時期を終え、紫陽花が色付く頃だった。

ホタル草 紫陽花

今、被災地では、何とか故人に初盆を迎えさせてやりたいと、
遺体が見付からないまま、葬儀が行われているという。
また、未だ身元不明の御遺体も、遺族が見付からないまま、
盆を迎えることとなる。

早朝の定林寺

早朝の定林寺

宮城で被災し、現在は横浜の調理学校に通っている青年は、
この夏、仮設住宅に帰省する。
それでも、「故郷で父親の仕事を手伝って来ます!」と、
張り切っていた。

お盆が、ご遺族にも、仮住住宅や避難所で暮らす被災者の方々にも、
新たな一歩になればと、思う。

読売新聞 (2011年8月8日16時07分 読売新聞)

遺体なき葬儀、「きちんと弔いたい」遺影に合掌

東日本大震災後、初めてとなるお盆を迎える被災地で、遺体のない葬儀が相次いで執り行われるようになった。
行方不明の肉親の死亡届を出した遺族は、「せめて初盆前にきちんと弔ってあげたい」という痛切な思いで遺影に手を合わせる。
大切な人を失った現実を受け入れたくない、というためらいの気持ちを抑えながら、残された被災者は心の区切りをつけようとしていた。

祭壇に並んだ二つの遺影に一つの骨つぼ。
仙台市内の寺院で今月6日、同市の会社員佐々木靖起さん(31)が、妻で震災当時38歳だった文江さんと、生後3週間の長女・一華いちかちゃんの葬儀を営んだ。
2人は3月11日、同市内の文江さんの実家で津波に流された。文江さんの遺体は10日後に見つかったが、一華ちゃんの行方は分からないままだ。

震災による行方不明者は今も4800人を超える。
行方不明になって3か月を過ぎた被災者については、自治体が家族からの死亡届を受理し、法的に死者とする措置が取られている。