「ようやく、自治会が出来ました」そう報告されたM氏は、
下北谷地(上下堤)仮設住宅で、自治会長を請け負っているという。
「凄く、盛り上がって来ましたよ」そう加えたのはM氏の奥様である。
交流も度重なり、打ち解けたせいもあるかも知れないが、
溌溂とした声だったことが、印象深い。
「自治会を立ち上げた」それが、大きな勇気になったに違いない。
下北谷地の仮設住宅は、55戸と規模が小さく、
コミュニティー作りには、適しているかも知れない。
それでも、集会場に作った談話室を、
活発にするために、色々と腐心しているらしい。
因みに、一ヶ月前には机すらなく、炊き出しの際、市の担当者に電話をして、
机を三脚、届けて貰った程だった。[当時の様子]
今では、本棚も置かれ、ちゃぶ台もある。
また、炊き出し隊が訪れる際、心地よく過ごして貰うため、
様々な工夫もしている、そうである。
また、訪れた方たちに、寄せ書きをしてもらおうと、
壁に、模造紙まで貼ってある。
そこまでしているにも関わらず、
仮設住宅の規模が小さいという理由で、
炊き出しの予定がキャンセルされる事もあるらしく、
その時は、非常にショックを受けたという。
支援で現地に行かれている方は、お判りと思うが、
被災した方々は、食うにひもじくて、炊き出しを望んでいるワケではない。
自力で、どうにもならない困難に直面して、
そこに、救いの手を伸ばして貰っていることが、
生きる勇気に、繋がって行くのだ。
こうして、新たに創設された自治会が、
同仮設住宅の各家庭に、暮らしていく上で困っていること、
必要なモノ等があるか、アンケートを取り、
それを、まとめて市に要望書を出したのだそうだ。
その要望書と、東松島市の回答を拝見させて頂いたが、
30項目に渡る要望に、市は前向き且つ迅速に、
対応する姿勢が伺えた。
談話室には、インターネット用のパソコン等も設置されるそうだ。
前述した、机を届けて貰った際も、
快く素早い対応で、市の支援が確実に機能している、
印象を受けたのを、覚えている。
今、要望されていて、市の対応が追い付かないのは、
個人の冬物用品、掛け布団、毛布等である。
それでも、住宅に断熱材を入れる、暖房器具を増やす等の計画が、
今後、予定されており、その対応の結果で、
要望も、変わって来るかも知れない。
現在、最も必要とされている支援は、
こうした、自治会等の「コミュニティー作り」と、
雇用の創出である。
近くの、ひびき工業団地仮設住宅に住んでいらっしゃる、
ワカメ養殖の漁師さんは、大きな設備投資をした後、
津波に遭い、養殖に使う船も、加工する機械も、
更には、流通経路すらないという。
こうした事態は、個人の力ではいかんともし難く、
ボランティア団体の支援等々が、必要となって来るだろう。
[松島湾の復興]
震災半年を過ぎて、ボランティアの参加人数は、
約半数に、激減したという。
また、自立を促すために「支援は不要だ」という意見もあった。
今、必要なのは「自立支援」である。
津波被害に遭った人たちは、単に住宅がないだけでなく、
職場や、仕事道具の一切合財を失っている人も多い。
そこが、阪神淡路大震災等と、今回の震災の大きな違いである。
仕事をすれば、自立に繋がるというが、
仕事がないのだ。仕事を造るための支援は、
必ず、必要である。
下北谷地(上下堤)仮設住宅がある野蒜地域は、
市民の足である仙石線の開通に、
約3年、かかると見られている。
また、津波で破壊された堤防の修復も、
まだ、手付かずの状態である。
復興とは、辞書によると、
「いったん衰えたものが、再びもとの盛んな状態に返ること。盛んにすること」
と、ある。もとの盛んな状態に返すためには、
まだまだ、様々な支援が必要だ。