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東松島上空

自衛隊の協力のもと、東松島の現在の被災地状況や、
高台移転工事の進行状況などが判るよう、地域住民が案内された。
撮影は上北谷地仮設住宅にお住いの宮沢賢治さん。

登場風景1

登場風景2

上空2Kmの撮影。

被害の甚大だった野蒜地域
宮戸島と野蒜1

宮戸島と野蒜2
まだ、荒れ地が広がっている。

仮設住宅団地として使われている、響工業団地
響工業団地仮設住宅

市が避難所として指定した野蒜小学校が津波被害を受け、
急遽避難場所となった定林寺上空
野蒜定林寺付近1

大氾濫を起こした鳴瀬川と、その河口、大曲周辺
成瀬川2
大曲周辺2
未だに手がついていない。

新たに造成された施設も有る。

野蒜地区太陽発電システム
野蒜太陽光発電2

高台整地
野蒜高台整地
住民は、この整地が完成した後、仮設住宅から移転することになる。

まだまだ、先の見えない復興ではあるが、
少しずつ、道は開けている。

↓更に写真を見たい方はこちら
東松島上空2013.12.03

復興祭。

本日、2012年3月11日。各地で追悼式典が催された。
それに先立って、10日。
東松島でも、復興祭が行われた。

陸前小野での、コンサート&炊き出しの模様が届いた。

炊き出し風景

炊き出し風景

ワカメパン

ワカメパン、だろか。。。

被災された方々、支援者が同じ釜のメシを喰らうのは、やはり、楽しい。
一瞬でも、昨日の悲しみや、明日への不安を、
忘れることが出来たことだろう。

陸前小野復興祭

ライブの模様

ライブの模様

上北谷地談話室のゲリラライブ

地元の方々には、「震災を忘れられたのではないか」という、
漠然とした不安がある。
その根底には、遅々として進まぬ復興への苛立ちがあるのではないか。

阪神淡路大震災と東日本大震災で比較にならないのは、
津波被害の甚大さである。
かつて、開拓された住宅街や、敷設された路線は、現状復旧では、
再び、津波被害に遭う可能性がある。
新たに山を切り開き、高台移転をしなければならない。
そこには、莫大な費用と膨大な時間が必要なのである。

震災の風化が叫ばれる中、
被災された方々の心を潤すのは、
こうした、人と人との交流に他ならない。

東北の復興は、まだ道の遙か先にある。

復興へ!

東日本大震災で亡くなった全ての方に
謹んで哀悼の意を表するとともに
ご冥福をお祈り申しあげます

ワカメ収穫

復興プロジェクト 東松島ワカメ

在宅被災者の現状

在宅被災者という言葉は、決してメジャーではない。
ケースは様々あり、一概には言えないが、

・地震や津波により、家屋が半壊、若しくは床上浸水し、
 住むことは可能だが、決して万全な状況ではない。
・住宅は残ったが、家族の働き手を被災によって亡くされた方
・地域一体が仮設住宅等に移り住み、現地に残ったご高齢者

等々、自宅に居ながら、
被災によって何らかの被害を受けている方々である。

道理としては、行政が何らかの支援策を講じるべきなのだが、
何故、史上最高といえる大震災である。
個別の対応は、難しいようだ。
この背景には、市等が家屋の「半壊」「全壊」判定を行い、
見舞金等が発生していることから、
例えば、「ご高齢者が自宅で暮らしが大変だろうから」と、
簡単に、仮設住宅に住むことは、なかなか叶わないのが現状である。

・朝日新聞[半壊でも仮設住宅資格外… 入居基準、自治体でまちまち

一部の団体が、支援を行なっているようだが、
東日本大震災復旧・復興支援みやぎ県民センター
状況は日毎、寒さが増すごとに、深刻になっているようだ。
その背景には、
「住宅が全壊された方に気の毒で、家が残ったからには多少の我慢は仕方がない」
という気運が流れていることも、大きいと思われる。

そうした状況に、
かつての避難所が、大きな役割を果たす場合がある。
本日、陸前小野(成瀬地区)にある、
あいあい子育てセンター」から、手紙が届いた。
兼ねてからの交流は、過去の記事で取り上げている。
・[あいあい避難所
・[避難所最後の日
現地に赴けば、当時避難所で暮らした方々に連絡を取り、
「あいあい避難所」で、ご挨拶をさせて頂いている。

避難所閉鎖後の交流

避難所閉鎖後の交流

本日、その「あいあい(元)避難所」から手紙が届いた。
ここでは、かつて避難所生活をされていた方々が、
折をみて集まり、作品の鑑賞会などを、催しているようだ。
その様子を、写真で送って下さったのである。

元避難所の懇親会 元避難所の懇親会

彼女たちの多くは、在宅被災者である。
家の修繕が住むと同時に、避難所を出られ、
ご自宅に帰られた。
しかし、生活に不自由があることに、代わりはない。
皆が互いを気配り、自ら、こうした懇親会を開いているのだ。

あいあいからの手紙
彼女たちは、とにかく明るくて逞しい。
その様子は、この写真からも、お分かり頂けるに違いない。
写真は、避難所生活を送られていたとき、頂戴したモノである。

あいあい避難所 鳴瀬 陸前小野

陸前小野は、仙石線の開通工事が急ピッチで進められている。
・河北新報[年度内再開へ急ピッチ 仙石線復旧工事・陸前小野―矢本間
しかし、陸前小野駅より更に、松島湾よりの、
野蒜-東名間の仙石線開通の見込みは、未だない。
その地域に住んでおられる、在宅被災者の方々が、
どんなご苦労をされているのか、
皆目、見当がつかないのが、現状である。

避難所最後の日

[English]
2011年8月31日。
宮城県は最後の被災者が避難所を後にし、全ての施設が閉鎖された。

避難所を出る、千葉さん

鳴瀬住環センター(あいあい)避難所を出る、千葉さん(撮影:伊藤さん)

この方が、初めて炊き出しに伺った日、
一緒に周囲へ告知して回って下さった「千葉さん」である。[あいあい避難所
そして、今ではメル友となった「千葉くに子」さんが、こちら。(写真左)

千葉くに子さん 梢さん、西ヶ谷さん、伊藤さん

写真右、ピースをしているのが、避難所リーダーの奥様「伊藤信子さん」。
二度目に伺った際には、現地の段取りなど、色々とお世話になった。
そして、左から、梢さん、西ヶ谷さん。
皆、一つ屋根の下、家族のように避難所生活を、送っていらっしゃった。

西ヶ谷さんも、避難所最後の日に、施設を出られた。
NHKが取材しようと市内を回った際、既に皆出払っていて、
実質、最後に避難所を出た方になるらしい。

インタビューを受ける西ヶ谷さん

NHKのインタビューを受ける西ヶ谷さん(撮影:伊藤さん)

この避難所にいらした方々は、皆一様に明るい。
「避難所生活が長いと、ご苦労もあるでしょう」と、訊ねると、
「皆がいるから、楽しいわよ」と、笑顔で答えて下さる。
もちろん、その下に深い恐怖と悲哀があるのかも知れないが、
それを微塵にも感じさせない、強さがあった。

先日、伺った際には、
「今度は、戻り鰹の時期にいらっしゃい」と、仰って下さった。
まるで、第二の故郷が出来たようである。
家族のような繋がりで、今後も現地に、足を運びたい。

あいあい避難所

「種花」ALBUM

あいあいが取材を受けた新聞記事

あいあいが取材を受けた新聞記事

千葉くに子さんのお宅に咲いていた花は、
朝顔が空を見上げ、向日葵が種を実らせ、頭を垂れている。

朝顔 向日葵

夏の終わり、宮城県で全ての避難所が閉鎖となり、
被災地は、新たな一歩を踏み出すことになる。
震災半年。
お涙頂戴の感動ドラマは要らない。
明るく、逞しく、前を向いて歩く姿があれば良い。
誰もが、その背中に壮絶なドラマを、
背負っているのだから。

あいあい避難所

鳴瀬子育て支援センター(愛称:あいあい)を初めて訪れたのは、
2011年4月25日。
午前中の炊き出しが早めに終わり、夕方迄に急遽、
もう一軒回ろうと、炊き出し長が決めて、
受け入れ場所を探したのが切っ掛けだった。

炊き出しボランティアは、事前の申請が必要となる。
この時、あいあい避難所の皆さんは、
上層部に抗議してまで、我々を受け入れてくれた。

あいあいに身を寄せていた方々は、約50名。
鳴瀬地域は、津波の床上浸水被害が大きかった地域だ。
汚泥に浸かった一階から、同じ家屋の二階に避難されている方も多く、
その方たちを招待すべく、拡声器を持って、
避難所の千葉さんと一緒に、周囲一帯に声を掛けて回った。
自宅の二階で暮らす方々は、
避難所には仲間が居て、支援がある。
家族を亡くし、家に独りで居るのは「本当に辛い」。
と、仰っていたのを、強く記憶している。

あいあい避難所脇 清掃されたアスファルト 海水に浸かった畑

千葉さんは、お宅の前を通る度、「ちょっと待ってね」と断って、
焼香をされていた。
周囲の家だけでも、五軒は焼香に上がっただろうか。
この地域も、職場等に出掛けて、津波で亡くなった方も多い。
別の形で、被害の甚大さを実感させられた。

あいあい 炊き出し風景1 あいあい 炊き出し風景2 あいあい 炊き出し風景3

告知の甲斐あって、多くの方が避難所に集まって下さり、
炊き出しは大盛況のうちに終わった。
撤収作業後、避難所の皆さんは、我々に自分たちに支給された、
避難所の食事を振舞って下さった。
この弁当は毎夕、宅配業者のクール便で届く。
朝はパン、昼はインスタント食品を毎日、食べているとのことだった。

避難所内 避難所の弁当

これが御縁で、7月10日。
再び、あいあいに寄らせて頂いたが、
35度の猛暑の中、二件の炊き出しをしたタメ、
疲労困憊して、写真を撮影していない。
この時、避難所にお住まいの方は28名。
その日も、避難所の弁当をご馳走になった。

そして、9月4日。避難所が解散して改めて、
あいあいに寄らせて頂いた。事前に連絡を取らせて頂いた、
千葉くに子さん(この避難所には、先の千葉さんと二名いらっしゃった)
が、避難所で暮らされていた幾人かを呼んで下さり、
手巻き寿司を振舞って下さった。
全く、ご馳走になるばかりで本末転倒、恐縮至極だが、
大歓迎をして下さり、嬉しい限りである。

あいあいLadys

避難所は、敷き詰められていた畳が剥がされ、
幾つかの荷物が残るばかりとなっていた。

彼女たちの写真の笑顔は明るいが、中には震災直後、
津波で家が浸水し、二階の押し入れで二日間を過ごされた方もいる。
アイロン用の霧吹きで喉の渇きを潤し、
流れてきた、泥まみれのバナナで、飢えを凌いだという。
ご家族の遺体は、畳の下から見付かったそうだ。
今でも、この地域では毎週末、誰かの葬儀が行われている。

首都圏では、原発問題や経済不安が取り沙汰され、
津波被害の復興は一段落と思われているが、
避難所という心の拠り所を失くし、孤独死される方も多い。[仮設住宅の生活

今後も、こうした交流支援は不可欠なのが、現状である。