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避難所最後の日

[English]
2011年8月31日。
宮城県は最後の被災者が避難所を後にし、全ての施設が閉鎖された。

避難所を出る、千葉さん

鳴瀬住環センター(あいあい)避難所を出る、千葉さん(撮影:伊藤さん)

この方が、初めて炊き出しに伺った日、
一緒に周囲へ告知して回って下さった「千葉さん」である。[あいあい避難所
そして、今ではメル友となった「千葉くに子」さんが、こちら。(写真左)

千葉くに子さん 梢さん、西ヶ谷さん、伊藤さん

写真右、ピースをしているのが、避難所リーダーの奥様「伊藤信子さん」。
二度目に伺った際には、現地の段取りなど、色々とお世話になった。
そして、左から、梢さん、西ヶ谷さん。
皆、一つ屋根の下、家族のように避難所生活を、送っていらっしゃった。

西ヶ谷さんも、避難所最後の日に、施設を出られた。
NHKが取材しようと市内を回った際、既に皆出払っていて、
実質、最後に避難所を出た方になるらしい。

インタビューを受ける西ヶ谷さん

NHKのインタビューを受ける西ヶ谷さん(撮影:伊藤さん)

この避難所にいらした方々は、皆一様に明るい。
「避難所生活が長いと、ご苦労もあるでしょう」と、訊ねると、
「皆がいるから、楽しいわよ」と、笑顔で答えて下さる。
もちろん、その下に深い恐怖と悲哀があるのかも知れないが、
それを微塵にも感じさせない、強さがあった。

先日、伺った際には、
「今度は、戻り鰹の時期にいらっしゃい」と、仰って下さった。
まるで、第二の故郷が出来たようである。
家族のような繋がりで、今後も現地に、足を運びたい。

あいあい避難所

「種花」ALBUM

あいあいが取材を受けた新聞記事

あいあいが取材を受けた新聞記事

千葉くに子さんのお宅に咲いていた花は、
朝顔が空を見上げ、向日葵が種を実らせ、頭を垂れている。

朝顔 向日葵

夏の終わり、宮城県で全ての避難所が閉鎖となり、
被災地は、新たな一歩を踏み出すことになる。
震災半年。
お涙頂戴の感動ドラマは要らない。
明るく、逞しく、前を向いて歩く姿があれば良い。
誰もが、その背中に壮絶なドラマを、
背負っているのだから。

被災地の初盆。

English

八月。震災から五ヶ月が経ち、被災地は間もなく初盆を迎えようとしている。
一ヶ月前、避難所となっていた、東松島市の定林寺では、
土葬された方たちが、火葬され、絶え間なく葬儀が行われていた。
寺の近くではホタル草が時期を終え、紫陽花が色付く頃だった。

ホタル草 紫陽花

今、被災地では、何とか故人に初盆を迎えさせてやりたいと、
遺体が見付からないまま、葬儀が行われているという。
また、未だ身元不明の御遺体も、遺族が見付からないまま、
盆を迎えることとなる。

早朝の定林寺

早朝の定林寺

宮城で被災し、現在は横浜の調理学校に通っている青年は、
この夏、仮設住宅に帰省する。
それでも、「故郷で父親の仕事を手伝って来ます!」と、
張り切っていた。

お盆が、ご遺族にも、仮住住宅や避難所で暮らす被災者の方々にも、
新たな一歩になればと、思う。

読売新聞 (2011年8月8日16時07分 読売新聞)

遺体なき葬儀、「きちんと弔いたい」遺影に合掌

東日本大震災後、初めてとなるお盆を迎える被災地で、遺体のない葬儀が相次いで執り行われるようになった。
行方不明の肉親の死亡届を出した遺族は、「せめて初盆前にきちんと弔ってあげたい」という痛切な思いで遺影に手を合わせる。
大切な人を失った現実を受け入れたくない、というためらいの気持ちを抑えながら、残された被災者は心の区切りをつけようとしていた。

祭壇に並んだ二つの遺影に一つの骨つぼ。
仙台市内の寺院で今月6日、同市の会社員佐々木靖起さん(31)が、妻で震災当時38歳だった文江さんと、生後3週間の長女・一華いちかちゃんの葬儀を営んだ。
2人は3月11日、同市内の文江さんの実家で津波に流された。文江さんの遺体は10日後に見つかったが、一華ちゃんの行方は分からないままだ。

震災による行方不明者は今も4800人を超える。
行方不明になって3か月を過ぎた被災者については、自治体が家族からの死亡届を受理し、法的に死者とする措置が取られている。

ちあきチャンの写真

[English]

Prologue
ちあきチャンにカメラを向けると、はにかんだ笑顔でピースした。
その微笑が、どこか印象的で、「種花」サイトの顔として、
使わせて頂いている。



桜が咲いたらね、学校に行くの。
「でも、まだ行かない……」

ちあきチャンと最初にかわした言葉だ。
4月24日。宮城にも、桜の満開が近づこうとしていた頃の話である。

桜宮城県東松島市野蒜町。
この町の指定避難所は野蒜小学校だった。
しかし、学校は海抜3から5メートルと低いため、
津波の被害に遭った。
避難した、多くの住民が亡くなったという。

小学校は現在、自衛隊の前線基地として使われている。



ちあきチャンは、いつも独りで遊んでいるという。
避難所となっている、寺の裏山を駆け上がる遊びや、
地震でひび割れたアスファルトを剥がして、
蟻ン子を探す遊びなどを、教えてくれた。

カメラを持った、ちあきチャン彼女が「カメラ貸して」といって、避難所に咲く「花」の撮影会が始まった。
花ごと散った牡丹を集めて、その内いちばんキレイな二つを撮った。こぼれた薔薇の花弁も、桜の木も、鉢植えの花まで何でも撮った。

ちあきチャンが撮った、椿 ちゃきチャンが撮った、薔薇の花弁 ちあきチャンが撮った、薔薇の木



ちあきチャンと靴ひとしきり撮り終えると、避難所の玄関に案内してくれた。
「津波が来てね、これで逃げたの」
ちあきチャンは、踵が履き潰された靴を指していった。彼女には、少し大き過ぎる靴。
事もなげに言っていたが、さぞや怖かったに違いない。

それから5足、自分の靴を教えてくれた。
全て、頂きものだという。
それでも、エナメル地の黒い靴はお気に入りで、
その靴に履き替えて、自慢気に見せてくれた。

ちあきチャンは、もう学校に通っているだろうか。
先日、避難所から届いた写真の中に、
お出かけする、彼女の姿があった。

お出かけする、ちあきチャン

次に会える時は、学校の友だちの話を、
たくさん聞かせてくれるかも知れない。

野蒜