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復興祭。

本日、2012年3月11日。各地で追悼式典が催された。
それに先立って、10日。
東松島でも、復興祭が行われた。

陸前小野での、コンサート&炊き出しの模様が届いた。

炊き出し風景

炊き出し風景

ワカメパン

ワカメパン、だろか。。。

被災された方々、支援者が同じ釜のメシを喰らうのは、やはり、楽しい。
一瞬でも、昨日の悲しみや、明日への不安を、
忘れることが出来たことだろう。

陸前小野復興祭

ライブの模様

ライブの模様

上北谷地談話室のゲリラライブ

地元の方々には、「震災を忘れられたのではないか」という、
漠然とした不安がある。
その根底には、遅々として進まぬ復興への苛立ちがあるのではないか。

阪神淡路大震災と東日本大震災で比較にならないのは、
津波被害の甚大さである。
かつて、開拓された住宅街や、敷設された路線は、現状復旧では、
再び、津波被害に遭う可能性がある。
新たに山を切り開き、高台移転をしなければならない。
そこには、莫大な費用と膨大な時間が必要なのである。

震災の風化が叫ばれる中、
被災された方々の心を潤すのは、
こうした、人と人との交流に他ならない。

東北の復興は、まだ道の遙か先にある。

避難所最後の日

[English]
2011年8月31日。
宮城県は最後の被災者が避難所を後にし、全ての施設が閉鎖された。

避難所を出る、千葉さん

鳴瀬住環センター(あいあい)避難所を出る、千葉さん(撮影:伊藤さん)

この方が、初めて炊き出しに伺った日、
一緒に周囲へ告知して回って下さった「千葉さん」である。[あいあい避難所
そして、今ではメル友となった「千葉くに子」さんが、こちら。(写真左)

千葉くに子さん 梢さん、西ヶ谷さん、伊藤さん

写真右、ピースをしているのが、避難所リーダーの奥様「伊藤信子さん」。
二度目に伺った際には、現地の段取りなど、色々とお世話になった。
そして、左から、梢さん、西ヶ谷さん。
皆、一つ屋根の下、家族のように避難所生活を、送っていらっしゃった。

西ヶ谷さんも、避難所最後の日に、施設を出られた。
NHKが取材しようと市内を回った際、既に皆出払っていて、
実質、最後に避難所を出た方になるらしい。

インタビューを受ける西ヶ谷さん

NHKのインタビューを受ける西ヶ谷さん(撮影:伊藤さん)

この避難所にいらした方々は、皆一様に明るい。
「避難所生活が長いと、ご苦労もあるでしょう」と、訊ねると、
「皆がいるから、楽しいわよ」と、笑顔で答えて下さる。
もちろん、その下に深い恐怖と悲哀があるのかも知れないが、
それを微塵にも感じさせない、強さがあった。

先日、伺った際には、
「今度は、戻り鰹の時期にいらっしゃい」と、仰って下さった。
まるで、第二の故郷が出来たようである。
家族のような繋がりで、今後も現地に、足を運びたい。

あいあい避難所

「種花」ALBUM

あいあいが取材を受けた新聞記事

あいあいが取材を受けた新聞記事

千葉くに子さんのお宅に咲いていた花は、
朝顔が空を見上げ、向日葵が種を実らせ、頭を垂れている。

朝顔 向日葵

夏の終わり、宮城県で全ての避難所が閉鎖となり、
被災地は、新たな一歩を踏み出すことになる。
震災半年。
お涙頂戴の感動ドラマは要らない。
明るく、逞しく、前を向いて歩く姿があれば良い。
誰もが、その背中に壮絶なドラマを、
背負っているのだから。

あいあい避難所

鳴瀬子育て支援センター(愛称:あいあい)を初めて訪れたのは、
2011年4月25日。
午前中の炊き出しが早めに終わり、夕方迄に急遽、
もう一軒回ろうと、炊き出し長が決めて、
受け入れ場所を探したのが切っ掛けだった。

炊き出しボランティアは、事前の申請が必要となる。
この時、あいあい避難所の皆さんは、
上層部に抗議してまで、我々を受け入れてくれた。

あいあいに身を寄せていた方々は、約50名。
鳴瀬地域は、津波の床上浸水被害が大きかった地域だ。
汚泥に浸かった一階から、同じ家屋の二階に避難されている方も多く、
その方たちを招待すべく、拡声器を持って、
避難所の千葉さんと一緒に、周囲一帯に声を掛けて回った。
自宅の二階で暮らす方々は、
避難所には仲間が居て、支援がある。
家族を亡くし、家に独りで居るのは「本当に辛い」。
と、仰っていたのを、強く記憶している。

あいあい避難所脇 清掃されたアスファルト 海水に浸かった畑

千葉さんは、お宅の前を通る度、「ちょっと待ってね」と断って、
焼香をされていた。
周囲の家だけでも、五軒は焼香に上がっただろうか。
この地域も、職場等に出掛けて、津波で亡くなった方も多い。
別の形で、被害の甚大さを実感させられた。

あいあい 炊き出し風景1 あいあい 炊き出し風景2 あいあい 炊き出し風景3

告知の甲斐あって、多くの方が避難所に集まって下さり、
炊き出しは大盛況のうちに終わった。
撤収作業後、避難所の皆さんは、我々に自分たちに支給された、
避難所の食事を振舞って下さった。
この弁当は毎夕、宅配業者のクール便で届く。
朝はパン、昼はインスタント食品を毎日、食べているとのことだった。

避難所内 避難所の弁当

これが御縁で、7月10日。
再び、あいあいに寄らせて頂いたが、
35度の猛暑の中、二件の炊き出しをしたタメ、
疲労困憊して、写真を撮影していない。
この時、避難所にお住まいの方は28名。
その日も、避難所の弁当をご馳走になった。

そして、9月4日。避難所が解散して改めて、
あいあいに寄らせて頂いた。事前に連絡を取らせて頂いた、
千葉くに子さん(この避難所には、先の千葉さんと二名いらっしゃった)
が、避難所で暮らされていた幾人かを呼んで下さり、
手巻き寿司を振舞って下さった。
全く、ご馳走になるばかりで本末転倒、恐縮至極だが、
大歓迎をして下さり、嬉しい限りである。

あいあいLadys

避難所は、敷き詰められていた畳が剥がされ、
幾つかの荷物が残るばかりとなっていた。

彼女たちの写真の笑顔は明るいが、中には震災直後、
津波で家が浸水し、二階の押し入れで二日間を過ごされた方もいる。
アイロン用の霧吹きで喉の渇きを潤し、
流れてきた、泥まみれのバナナで、飢えを凌いだという。
ご家族の遺体は、畳の下から見付かったそうだ。
今でも、この地域では毎週末、誰かの葬儀が行われている。

首都圏では、原発問題や経済不安が取り沙汰され、
津波被害の復興は一段落と思われているが、
避難所という心の拠り所を失くし、孤独死される方も多い。[仮設住宅の生活

今後も、こうした交流支援は不可欠なのが、現状である。